吐き出しかしまし。
毎度のこと放ったらかしのこのブログ。
書きたいことは日々いっぱいある。書く時間もあるにはある。暇な時はもんのすっごい暇だから映画やyoutubeを見る毎日だし。
自分の脚本はよく『内容を詰め込みすぎ』と言われる。好意的な意見で言う人もいれば、否定的な意見で言う人もいる。どっちも正しいと思う。
こうしたブログで日々を吐き出していれば、いざ脚本を書くってなった時に、余ったおかずを詰め込むことなどないのだろうか。いや弁当に入れるときはちゃんとレンジでチンしてるよ。この場合のおかずってのは内容への比喩よ。隠喩よ。この二つなにがどう違うの。
8月も最終日。もりげき王は今日決勝らしい。ちなみにこのブログは夕方に書いている。(時間差投稿)
もりげき王というコンテストのお陰で、未だ見たことのない新たな面白い人たちが確実に生まれてきた。
それはその通り。
いや企画を否定したい訳じゃない。ただ。。その。。脚本書きたい人が多いのは嬉しいんだけど、演出という役割に興味ある人もっと出てきてほしいなーって。
もちろん、もりげき王は需要があるならそのまま開催してもらっていいから、演出王とかね。うん、冠クソダセェな。
個人的には脚本書くより演出する方が好きです。今までは演出より脚本の方が評価されてたけど、最近になってようやく演出の評価(実力)が追いついてきた。
って自分では思う。
演出ってどっかで頻繁にワークショップやセミナーが催されている訳ではないし、独学で学んでくださーい。ってのがほぼだろう。
まぁそれはそうで、座学よりも役者を相手にして1本芝居を汗水涙鼻血流して作った方がよっぽど勉強になる。
でも・・稽古毎回来なきゃいけないとか、責任取らなきゃいけないとか(それはその通りだが)、全然おれセンスないよーとか、コミュ力ないから無理だよーとか。
損する役。大変な役。っていう印象が多い。演出って。実際そうっちゃそう。
作・演出はやるけど、単独の演出は嫌とかの人もいる。
因みにおれはそうだが、作・演出ってチラシにもあるクレジット。脚本も演出も同一人物がやってますってことなのね。このシステムが根強いのは日本だけらしい。
この場合仕事の成果の割合として・・脚本7 演出3 ってバランス。
つまりは作・演出の時って演出が本来やるべき仕事を脚本家に投げている事が多い。
同一人物なんだけどな。
この割合・・ぶっちゃけ余りよくわない。
演出って楽しいよ。そんな事を少しでもわかってもらえる場を作りたいんだけどどうすればいいんだろう。
なんかいいアイデアあれば是非。。
目の前で世界が立ち上がっていく瞬間を見れるのって演出の醍醐味です。
人も世界も稽古場の時間の中で常に変化していく。成長も退化も。
脚本を書き始めてから、人間のことがよくわからなくなりました。
演出をし始めてから、人間のことが更に好きになりました。
どっちもポジティブな意味です。
この前、劇団コトナコナタさんでホラーを演出させていただいた。
もちろん、おれなりの全力でやったし、おれが作るからには!と思いながらやった。
多くの人の力を借りながら。借りまくりながら。
でもね、理想を言えば『ホラーといえばこの人!』みたいに演出家のリストが盛岡でもどんどん増えて欲しいなと思う。
もりげき王の影響で、素晴らしい劇作家がどんどん出ているのなら、それを世の中に様々な形で伝えてあげる伝道師のように演出家もいっぱいいて然るべきだ。
そんなことを思っていたんだ〜(茜色の夕日 フジファブリック)
最後に、今日は演劇の世界の先輩方と色々お話しした。
身につまされすぎて耳が痛い愛のある意見もあった。
『君はなにがしたいの?』
むかしっから言われ続けていたこと。
動き出そうと思う